【教育】アクティブラーニングは何のためにあるのか
皆さん、こんにちは
油淋鶏です。
GWが近づいてきて、休みの予定を組み始めている方も多いかと思います。
私もGWは学校が休みになるのですが、働かざる者食うべからずということで、親にバイトを勧められてしまいました。
ところで、皆さん。
学校の教育が平成30年の時に変わることが発表され、平成33年(令和3年)に全面実施されることをご存知でしょうか。
変わるのは知っているけど、どう変わるのかは知らない!もしくは、全く知らなかったと言う方がほとんどではないでしょうか
詳しくは文部科学省のHPにあるのでみてもらえればわかるかと思います。リンク貼っておきますね
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1383986.htm
では、簡単に改定内容について見ていきます。
今までは、子供の能力の基礎や基本となる知識や教養を作る、さらには豊かな人間性を育てていこうといった考えの元で指導要領が作られてきており、最近では『生きる力』を育むよう指導すべきとされてきました。
ところで、この『生きる力』について、字面だけ見ればかなり重要そうな感じに見えますが、一体何を示しているのでしょうか。
わかりやすく噛み砕いて言い換えれば、これからの社会や世界を、持続可能な社会として存続させて行くことのできる力、と僕は思います。
そんなの、重要に決まってるじゃないか。とみなさんは思うでしょう。
当たり前です。
ただ、字面だけ見れば、の話ですが。
問題はどのように育てるのか、と言うところにあります。
指導要領には、教科ごとに学ぶべき項目がまとめられており、それを学ぶことで何が育まれるのか、と言うことまでは書かれています。しかし、どのように教えるか、と言うところまでは書かれていない。つまりは、そこからは教える教師の裁量次第なわけです。
ですから、学校によって、、
いや先生によって教え方が違うから、同じ学校に通っていても子供の能力にも違いが出てくるわけです。
教科の得意不得意はもちろんあるでしょうが、それを伸ばすも縮めるも教師の力次第ではどうとでもできると言えます。ただ、教え方が確立されていない以上は、伸ばす縮めるについて保証はできていない状況に現在はあるのではないかと僕は考えています。
そんな背景がある中(僕の主観的な背景ですが)、学習指導要領は新しくなろうとしているわけです。
新しくなるのだから、もちろん効果的な教え方だったり教具なんてものはまだこの世にないはずです。従来使われていたものは抜きにして、の話ですが。
ちなみに、どのように新しくなるのかについては、文部科学省のHPの方が詳しいと思うので、気になら方は是非、みてみる価値はあると思います。(下にPDFのリンク貼っておきます)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/09/28/1396716_1.pdf
見る時間のない人のために、僕が簡単に噛み砕いて説明すると、
これからは主体的・対話的な深い学びが重視される。
そのような学びを作るために、アクティブラーニングを授業を取り入れていこう、というものです。
アクティブラーニングとはなんぞや、となる方のために、
アクティブラーニングとは、従来のような、教師→生徒のような一方向の授業ではなく、双方向の授業での学びや、子供たちが主体となって作る学びのことを言います。
つまり、今までのように与えるだけじゃなくて、子供がその与えられた知識を使って問題解決できるように育てていきましょうね、と国が決めたわけです。
僕自身はこの考え方に共感しています。
理由は簡単です。
皆さんは、皆さんが子供の頃に受けてきた学校の勉強について、どのような思い出がありますか?
楽しかったという人ももちろんいるでしょうが、ほとんどが楽しくないとか、しんどい、つまらないといった思い出だと思います。僕も実際そうでしたから。
学生時代から教育には不満しか感じていません。だからこそ自分が教師になり、変えようと思っているのです。
新しい教育、子供達だけで話し合って答えを導き出そう。なんとも面白そうな感じがしませんか?
とても簡単に言い換えれば、名探偵コナンみたいな感じですよ。教科書の内容という手がかりを使えるだけ使って、問題や疑問を考察し、答えを導き出す。その答えが正しければ力がついている証と言えるし、間違っていれば、また考え直せばいいだけ、非常にシンプルです。
アクティブラーニングとは、奥深くかつシンプルな構造をしていると、僕は考えています。
なんでもっと早くやらなかったんだ!って思いますよね。
実は日本では大昔に一度行われていたんです。大正自由教育という言葉をご存知でしょうか?
自由教育、いわゆるアクティブラーニングの祖的な教育が昔はなされていた時期があったんです。でも、なぜ今はないのか、
当時は国から教育に対して色々な厳しい決め事が多かったんですね。
例えば、教科書はここのを使え!だとか。
自由教育を行う上で、教科書は使わずに授業をする!といった教師は国から批判されるわけです。
自由教育なのに。つまり、矛盾が生じていたんですね。
そんなこんなで、大正自由教育は失敗とされ、従来のような教育が行われてきた、というのが今までの流れなわけです。
かなり長くなってしまいそうなので、今日はこの辺で切ろうと思います。
次回は、アクティブラーニングをなぜ今になって始まるのか、どのようにすべきなのかというところについて、僕の思うところを書いていきたいと思います。